北高同窓会「藤蔭会」のページ

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藤蔭会とは

1 同窓会の名称「藤蔭会」の由来

    本校は大正元年(1912)11月に旧制高女として創立されました。その同窓会の名称が単なる
   「同窓会」という名称では潤いがないということで、昭和16年4月25日の開校記念日の折、同窓
   会役員で協議し、生徒の憩いのオアシスともなり、また卒業生のシンボルともなっていた思い出懐か
   しい「藤」にちなみ『藤蔭会』と命名されていました。しかし、昭和23年新制高等学校の発足で、
   新制男女共学の高校となり、男子卒業生が加わり、従来の名称を『大牟田北高等学校同窓会』と改称
   しました。
    しかし、本校は、三池郡立実科高等女学校として発足以来、数回の校名改称がなされ、併置中学校、
   附設臨時教員養成所を併設した後、そして大牟田北高等学校と変遷してきました。そこで、現校名を
   冠した『大牟田北高等学校同窓会』では何かと不便であるとのことで、改めて同窓会役員の中で名称
   の検討を重ねました。そこで、同窓会の活動も年々盛んになり、一層の結束を図るためにも、高女、
   併中、臨教、高校を糾合し、70周年を機に再度『藤蔭会』に戻したところです。

2 母校発祥記念碑

    本校は、昭和20年(1945)に受けた戦禍のために校舎が全焼し、昭和24年に現在の校舎に
   移転するまで、苦難の学び舎時代を送りました。そして、昭和57年に創立70周年を迎え、これを
   機に藤蔭会で旧校舎跡地の日出町に母校発祥記念碑を建立しました。そして本校にも、築庭の美観を
   よりよくするとともに、在校生が母校の歴史を確認し愛校心を持つなど、情操教育に役だてるという
   目的で、2分の1の大きさの碑を建立しました。

3 「藤棚」の由来

    昭和10年、日出町校舎(旧校舎)の片隅に藤の木が植えられ、棚が作られていました。以来、
   美しい紫の花を咲かせる藤の下には、いつしか生徒たちが集い語り合い、一喜一憂した忘れられない
   唯一の憩いの場であり、思い出深い場でした。この藤は、昭和34年日出町より甘木への校舎の移動
   と一緒に移植されました。しばらく忘れられていた藤も、昭和48年に現在の場所に移され棚が作ら
   れ、今では見事な花を咲かせ、私たちの心をなごませてくれています。
    学校の発展を見守り生きてきた藤を中心に、藤棚そしてベンチが設置され、たくさんの記念樹も植
   えられています。生徒の散策、憩いの場として利用されるよう、母校60周年の記念に藤蔭会より贈
   られたものです。

4 乙女の像

    藤蔭会では、母校60周年を祝賀し、記念庭園を造園し、これを「湊心台(そうしんだい)」と名付
   けています。その中に、昭和20年終戦を目前に大牟田2回目の大空襲をうけた際、不幸にも学徒動
   員中被爆し焼死された3人の先輩と、焼夷弾攻撃により燃え盛る母校の防衛に従事し、焼死された1
   人の先輩の御霊(みたま)安かれと建立された慰霊碑があります。大理石の台座をもつ乙女のブロン
   ズは、無垢な乙女の、久遠の生へのあこがれを秘めたもので、同窓生の無限の慰霊の心をこめたもの
   です。作者は、日展評議員の宮本光庸氏で、(元)藤蔭会会長 横倉恵子氏の依頼により製作されました。

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